ゆんたく・徒然 奥の深い沖縄。その沖縄をもっと知りたいヤマトの人々、
古里沖縄をあまり知らないと”ウチアタイ”するウチナーンチュ。
そんな方のお役に立てたらと願う、「青春」を謳うナイチャー、
NPOの一員です。

ゆんたく・徒然 ( 二見情話 )

 「二見情話」この琉歌は私にとって、沖縄の文化の入り口であります。或るシマナイチャーがヤマトーグチの二見情話を歌ったのを聞き、その哀愁を帯びた旋律がすっかり好きになると同時に、何故か二見の里に心惹かれるものが芽生えてしまった。

「連れて行かぬなら何故死ねと言わぬ 二見美童(みやらび)の夢を散らしよ」
「めぐり合わなけりゃ嘆きも知らぬに 今朝の別れ歌 涙の歌よ」
「私を見捨てて二見を出るときゃ 山が邪魔をする 月も曇るよ」

二見 二見は名護市にあるといいながら、山原のしかも東海岸に位置している。全国まさに津々浦々に散見する「二見」という地名でありながら、「二見情話の里」と形容されると、美ら島沖縄のイメージと重なって、なんとも言えないロマンチックポエムの香りが漂ってくるから不思議であります。(えっ!それって私だけですか?)このあたりの情感はたしかに微妙で、ウチナーンチュにも一寸理解しにくいところかも知れませんね。

 それから数ヶ月後のある日、私はそんな期待に胸躍らせて二見を初めて訪ねました。国道58号線を北上し許田から宜野座方面へまわり、ひっそりと「二見入口」と書かれたバス停をみつけました。別世界の入口が密やかに開いている風情が今も懐かしい。左折すればもうここは山原、太陽の光が届くかどうかのくねくね曲がった林道が続く。えもいわれぬ神秘感も漂ってくる。でもそう長くは続かず、樹木の間から美しい東シナ海の藍色が見え隠れしてくる。「海が見えた。海が見える。・・・」 古里尾道の入り口をこう書いた林芙美子の「放浪記」の一節が思わず浮んで消えたのでした。
二見 山道はやがて海沿いの道に変わりますが、右手はるか沖合いにおぼろにあの辺野古崎(ひぬくざき)が見えています。静かな入江を、三つ四つ道がなぞるともうそこは村はずれとなります。景色も生活感もすべて「ナカユクイ」中のような印象があります。余談ですがこの風景はいつまで見られるのでしょうかね、おもえば淋しい限りです。二見の入口の公民館横に「二見情話」の記念碑はありました。

「二見美童やだんじゅ肝じゅらしゃ、海山ぬ眺み 他所(ゆす)にまさてぃよ」と歌詞が彫られ、脇に歌が誕生した経緯が記されている。私の注釈も含めますと大よそ次のように書かれています。1945年沖縄戦当時、摩文仁で捕虜となり二見の収容所で村長をしていた照屋 朝敏氏が戦後やっと古里首里に帰れることとなった時、お世話になった二見の村人や、運命をともにしてきた人々に対して、「命からなる感謝の念」と、惜別の思いをこめてこの「二見情話」をつくったとあります。
  平良とみさんの「島唄」という本によると、『収容所で生まれた戦後第一号の新作島唄は「屋嘉節」であり、その後「姫百合の塔」をはじめ色々生まれたが、人気ナンバーワンと言えば二見情話でしょう』・・といわれている。既述「沖縄の春」で書いたように二見情話は名護の桜祭りの催しの一つになっていますね。2002年はなんと90歳の長嶺将幸さんが唄った二見情話が審査員特別賞を受賞されたそうであります。ミグトゥヤッサー!(お見事、お見事の意)
「待ちかにて居(う)たる 首里上(すいぬぶ)いやしが  出発(いんじゅた)ちゅる際(ちわ)や  別(わか)りぐりしゃよ」
「戦場ぬ哀り 何時(いち)が忘(わし)りゆら、 忘りがたなさや 花ぬ二見よ」
 ウチナー口も漢字を混ぜて書けばなんとなく判ってきますよね。

 沖縄戦は今次大戦の最大の悲劇をもたらしました。一般の人々が戦火に蹂躙され、猛烈な鉄の暴風にさらされたのです。3月に始まり6月23日が終戦となっていますがそれは組織的戦闘が終わっただけで命の危険は続いていました。「さとうきび畑」の歌詞にある通り阿鼻叫喚の地獄図が降り続く雨(沖縄はこの頃梅雨ですね)のもとにくりひろげられました。そんな中で沖縄の人々は「命どぅ宝」と助け合い、励まし合って生き延びたのですね。東海岸の一寒村二見の地にその時の思いが二見情話として残り、歌い継がれていることは素晴らしい文化と言えますよね。
  本土から沖縄へは3泊4日のツアーが人気のようです。短い旅ながら、おいしく食べたり飲んだりだけではなくもう一つの旅の意義を思い出して欲しいです。旅で訪れた土地の「文化や芸能に触れ、歴史、伝承を知る事」と「生活の知恵が美しい景観を作っている事」この事をわすれたらいけません。ウチナーンチュは辛かった戦世(いくさゆー)をも、つとめて明るく、琉歌に姿を変えてヤマトに発信しています。大和の「情話」という言葉には「男女の恋」の含蓄があります。そんな事への配慮でしょうか、朝敏氏の書かれなかった一節が書き足してあります。「行逢たしや久志小 語たしや辺野古 想て通たしや 花ぬ二見よ」これで立派なラブソングです。楽しく唄いましょう。でも戦場ぬ哀りを忘れずに、ね!

 沖縄にはこうしていっぱい文化が咲いています。ヤマトンチュは旅でこうした面も理解し、そしてウチナー同様に大切にして下さい。「大和では・・」「だから沖縄は・・」という言い方や批判めいた事はやめましょう。沖縄にはヤマトからは消えてしまった風土や歴史が育んだ素晴らしい文化が沢山あります。思い切り心を解き放って、ゆったりと悠久の時のながれに浸り、過ごしましょうよ、ここ沖縄では。 沖縄はもっともっと素敵な姿を見せてくれますよ! ハイサイ!

 

ウチナー口(沖縄方言)解説
「ナカユクイ」= 休憩。沖縄の昼の「ナカユクイ」は結構長い。3時の休憩もあり、この時は茶脇(お茶請け)に黒糖でユンタク(おしゃべり)が延々続くこともある、とか。
「ミグトゥヤッサー」= お見事です、あっぱれ!あっぱれ!

 

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