ゆんたく・徒然 奥の深い沖縄。その沖縄をもっと知りたいヤマトの人々、
古里沖縄をあまり知らないと”ウチアタイ”するウチナーンチュ。
そんな方のお役に立てたらと願う、「青春」を謳うナイチャー、
NPOの一員です。

ゆんたく・徒然 ( 沖縄の原風景 No.1 )

“ふるさとの寺の畔のひばの木の いただきに来て啼きし閑古鳥”
石川 啄木のこの句を読んで、さてどんな風景があなたの目に浮かびますか?私は、遠い昔小さな子供の頃親に連れられて何度か訪ねた向島の菩提寺の佇まいが、境内の銀杏の木とともに浮かんできます。そしてその風景は港へと誘導され、半鐘の懸かった火の見櫓や四面吹きさらしの集会所、ぎぎぎーと音を搾り出しながらゆったりと揺れる漁船の姿にまで続くのです。私の『ふるさとの風景』です。残念ながらもう今はありません。

 尾道の向いにある向島の南側、因島に面する津部田という寒村が私の原風景、ふるさとの風景の舞台です。経済の発展は都市化の波となって津部田をも飲み込んでしまいました。この津部田へ行くバスが通る途中の峠は後述する大林 宣彦監督の映画に出てきます。『自分の感覚は全て「おふくろの味」と「ふるさとの風景」が作ってくれている。大人になるという事はこの二つを「いかに大切に育てていくか」という事だと考えている。人の顔には「しわ」がありその「しわ」が顔の表情となっている如くふるさとの風景もその土地で暮らす人々の生活の知恵が文化となり「町のしわ」となって原風景を構成している』。
 尾道出身の映画作家大林宣彦氏は「ぼくの瀬戸内海案内」(岩波ジュニア新書410)で「ふるさとの風景」をこう述べていますね。氏は実はごく最近(2003年1月29日)私の期待が届いたかのように、金武町で開催された「エネルギープラザ沖縄金武町」での講演会「地域発見・心と視点」に出席されました。地域の表情(しわ)を生かした「ふるさと映画」を数多く撮った経験を語り、その土地ならではの暮らしを大事にする「まちまもり」を提唱されたそうです(沖縄タイムス1月30日朝刊22面)。参考までにこの映画は「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」「あした」「ふたり」「あの、夏の日とんでろ じいちゃん」など尾道三部作と呼ばれるものです。尾道市は今も古い道や建物などを皆で雑巾がけをしながら守っています。二階建ての井戸もあります。それ故か「暗夜行路」「放浪記」が彷彿としてきます。

 竹富島に残る沖縄の村風景を「まちまもり」の成果として評価されている東京大学大学院教授の松原隆一郎先生は『戦後経済発展を全てに優先させた日本は歴史、風土と断絶した日常景観を作り、人間から過去の記憶を抹殺し、豊かさを奪ってしまった。』と著作「失われた景観」で嘆かれています。喜びや悲しみがいっぱい詰まった思い出の景観がなくなると人は何処で胸を濡らせばいいのでしょうか?「*ウーマク」時代の風景はいつまでも古里に残って居てほしいものです。んじぃだーるねぇー。

 2002年は本土復帰30年でいろいろな催しが開かれましたね。7月6日〜28日の期間、「東松照明展 沖縄マンダラ」が浦添美術館で開催されました。東松氏は戦後写真界の巨人と呼ばれる名古屋出身のひとですが、アメリカ軍キャンプ地で育ち長崎や基地といった重いテーマをモノクロで撮影しています。沖縄には69年から足を運び、基地という自らの「原風景」を確認しながら沖縄基地問題をとりあげました。一ヶ月あまり嘉手納周辺を撮った後、突然、宮古島、八重山の島々を巡りはじめました。氏はかの地で、宮古、八重山には日本文化の古層ともいうべき、既に本土では失われてしまった習俗が脈々と生き、継がれている事を知り、強いカルチャーショックを受けてから、撮影スタイルをかえました。白黒をカラーに替え基地問題を告発する攻撃的姿勢は後退し、今ここにある沖縄を受容して、人々の暮らしの「しわ(表情)」を細かに写し出していくようになりました。75年に刊行された「太陽の鉛筆」という写真集には、基地の写真は一枚もなく、島人の民俗行事、表情、身振りが光あふれる南の島の光景となって撮られている。まさに「沖縄の原風景」がそこにあったのです。(日経新聞7月21日、文化欄「南の写真、北の写真」:飯沢 耕太郎氏の記述をベースにしています)ながながと紹介しましたが巨星東松氏がスタイルを変えてしまうほどのものが、色々な理由で、宮古、八重山に残っているのでしょう。言語学者によると万葉時代の大和言葉がそっくり生きているそうです。(やいま(八重山)、みゃーく(宮古)*でーじ*上等やっさー!)

 沖縄本島でもまだまだ「原風景」が残っています。都市化の波が一番激しい那覇市内でいえば、例えばやちむん通りに牧志公設市場。裏手にはガジュマルの木が涼を求める人を招きしてますね。生産者と消費者とがダイレクトに結び付く市場からは、戦後風景の「リンゴの唄」が聞こえてきそうです。ひょっと人の流れが途切れた時などは郷愁を感じます。さらに、首里城下の往時を偲ばせる石畳の道や樹齢200年を超える樹々や遺跡(カー)、等はいいですね、大好きです。復興再建された首里城や「守禮の門」は大変な賑わいで結構ですね。年老いてくると、沖縄を訪ね始めた頃、地図で探してもなかなか見当たらず、道行く人のお世話になりながらやっと辿り着いた「守禮の門」のひっそりとした佇みも、懐かしくなってきます。礼を知る人を優しく迎えてくれるそんな趣に満ち満ちていました。「これぞ、儒教の邦、沖縄。素晴らしい」と感激したことを思い出します。
 首里と言えば、末吉にある知人H氏宅でバーベキューをご馳走になった時、腹ごなしに近くの御陵(*拝所)まで、台風の前触れの雨をもいとわず沖縄流に傘もささず、散策した思い出があります。こんな都会のど真ん中に、緑に囲まれ時代の歩みから隔離された風景が残っている事にとても驚き、感激し、素晴らしい思い出を頂きました。

 私はこれからも拙い写真を撮りながら、「沖縄の原風景」を求め歩きたいと思います。都市化という経済発展は致し方ないとしてもこの美しい、豊かな文化を持つ沖縄の原風景をどのようにして守っていけば良いか、折々にふれ皆で真剣に考えてみましょうね。
“流れゆく風景”を止めるわけにはいかないけれど、何かやることは有る、はず。     

 

ウチナー口(沖縄方言)解説
「ウーマク」=腕白小僧。せいぜい小学生までか。「このウーマクワラバーター!」(この悪がき共が!)と使う。
「デージ」=とても、とても、と強調する時使いまくる接頭語みたいなもの
「上等(ジョウトウ)ヤッサー」=「上等です」とよくいう。美味しい時も使うし品物の素晴らしさにも使う。「良いね」の替わりです。
「拝所」=「ウガンジョ、又はウガンジュ」とよむ。神(沖縄の神はアニミズムの神と天地創造の神とがある)を拝む場所神聖な地であり神への玄関口でもある。立ち入らないように!

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