ゆんたく・徒然 奥の深い沖縄。その沖縄をもっと知りたいヤマトの人々、
古里沖縄をあまり知らないと”ウチアタイ”するウチナーンチュ。
そんな方のお役に立てたらと願う、「青春」を謳うナイチャー、
NPOの一員です。

ゆんたく・徒然 (  やちむん通り  )
 

暑さすだましゆる 手になれし扇 誰がすなづけたか 風のやどり

小禄按司朝恒

 「夏の暑さ凌ぎには手になじんだクバ扇(オージ)が一番良い、風の宿りとはよく言ったものだ」と唄った琉歌です。

夏本番の8月、恩納村などの西海岸で豪華なリゾートホテルに泊まられた方も最終のお泊りは那覇市内が多いようですね。国際通や公設市場でのお買い物の時、出来れば足を運んで昔の那覇の面影を偲んでもらいたい所が、「壺屋やちむん(焼物)通り」です。

ひょっとして名陶工の掘り出し物を入手できたり、出来なくても「壺屋焼き」のファンになれるのではと思います。公設市場から至近距離です。石畳の道が400mほど続く通りが「やちむん通り」で、1682年から沖縄本島の焼き物はここで生産されていました。

環境問題で70年代に読谷村の「やちむんの里」に大挙して移転するまでの約300年間、焼き物の歴史を刻んだ壺屋は、一味違う沖縄を教えてくれるはずです。

沖縄の焼き物は南方交易が盛んだった500年以上も前の16世紀の頃、タイから伝来した南蛮焼きが始まりで、後に喜名焼(読谷村)や知花焼(沖縄市)になったそうです。

タイのお米を原料にする泡盛とルーツを同じくすることは大変興味深いことですね。古窯は他に湧田焼(朝鮮系技術、那覇市)、古我知焼(名護市)サバ焼(大宜味村)などがありましたが王府の政策で壺屋に集められました。

壺屋焼の特徴は「素朴で力強い」といわれますが、日常生活に根付く所謂「用の美」を持ったまさしく民芸といわれる代表的焼き物ではないでしょうか。泡盛を口に含んだときに感じるあの第一印象に通じるものがあると思うのは、私一人でしょうか。

釉薬をかけ絵をつけた上焼、泡盛や水を入れる大型の甕がつくられる荒焼の2種類ありますが、上焼には「赤絵梅林文碗」「線彫双魚文大皿」という代表作品があります。

素人の私はアカバナーのような赤と沖縄の海のエメラルドグリーンのような色使いが好きで、こうした色を使い、沖縄にしかない物「抱ち瓶(ダチビン)」「カラカラ」「ゆしビン」のような泡盛用品を集めてみたいと思います。

「鳴き声以外は皆食べる」といわれる豚の油を入れる「アンダガーミ」、肉用の「スーチカーガーミ」遺骨用の「ジーシーガミ」なども沖縄固有の品目です。
壺屋焼の代表的陶芸家は人間国宝の金城次郎さん、新垣栄用さん、島袋常秀さんだと聞いています。

金城次郎さんの作品は「笑う魚紋」「エビ紋」が作風になっていますが、模様を指で描く技法は高く評価され、初期の作品に愛好家の関心が高いようです。今窯元は読谷村の「やちむんの里」に47軒が集まっています。座喜味城址の傍で駐車も楽ですから、58号線を那覇へ向かう時に喜名交差点で右折して立ち寄ってください。

壺屋焼を語るとき忘れられない存在が「日本民芸協会」であり、その代表的な人物が3名挙げられます。柳宗悦(1889〜1961)、浜田庄司(1894〜1978)、そして英国陶芸家バーナード・リーチ(1887〜1979)の3氏です。

柳氏は協会の設立者として、近代化の波に消滅しそうな地方民芸の文化的価値を説き、とりわけ沖縄には古い日本の言語が残り民芸が生きていると主張、方言擁護の論陣まで張りました。浜田庄司氏は「京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」という巨匠。益子焼の中に壺屋のDNAが見られるのは氏の影響であり、昭和30年人間国宝となりました。

バーナード・リーチ氏は沖縄の「良き師、良き理解者」で、浜田氏とは刎頸の友(クビチリドシ)だったとあります。迎え入れたウチナーンチュの第一人者は「沖縄独自の文化の再認識と再興」を掲げた新聞人豊平良顕氏です。

比嘉春潮がいう「愚直な」沖縄人を地で生き、『「愚直」・・これはこざかしさを捨てた、おおらかに生きるという沖縄の心』だと語った豊平氏(※)のありようは「壺屋焼」の美そのものであったのかも知れません。

やちむん通りを歩きながら店を覗いたり、すーじ小を迷いながら今を忘れて偉人の面影を追うそんな時間の過ごし方は沖縄ならではと思います。

「武蔵野を歩く人は道を選ばず」というように、やちむん通りを散策する時は悠久の時の流れを感じ得る歩幅で、ゆったりゆっくりお過ごし下さい。

 

ウチナー口(沖縄方言)など解説

「ダチビン」= 腰の曲線に沿った曲がりを持つ携帯用酒瓶。肩から紐で吊って持ち運ぶ沖縄独特。
「カラカラ」=
宴席で使われる口の付いた酒器。空になると音がしたのでとか、「貸して、貸して」と酒器を欲しがる「からぁからぁ」からきたとか言われるが不明。
「ゆしビン」=
嘉瓶と書く。「かりゆし」の「ゆし」、そうです祝事の時に使われるひょうたん型の泡盛入れで喜ばれます。
「日本民芸協会」=
「民芸」とは民衆的工芸の意。初めて沖縄に来たのが1938年(昭和13)戦後は全国大会として1964年に開催、バーナード・リーチはこの時来沖した。このあたりの事は※印部分共々牧港篤三著「沖縄人物シネマ」ボーダーインク刊に詳述されている。一読をお勧めします。
「柳 宗悦」= 沖縄には4回、「琉球の富」、「琉球の人文」等の著作あり。お気に入りの厨子甕に遺言どおり入って後生の棲家とした。
「浜田庄司」= 新婚旅行で沖縄にきてそのまま壺屋に住み着いたといわれる。沖縄に軽便鉄道が走っていた頃、台風で倒れたキビをスケッチし、作品のデザインに使用、トレードマークとなった。リーチ氏との会話は禅問答、関係は「羅漢と菩薩」だそうです。
「豊平良顕」= 明治37年首里に生まれる。反骨の新聞人。沖縄新報編集局長、首里博物館長、歴任。1948年沖縄タイムス社創設に参加、65年会長。1990年没。
「すーじ小」= スージグヮーと読む。小径とか路地裏道。那覇の街にはとても多くありここに足を踏み入れると大抵迷子状態、でも時が止まった街が見られる。酒好き(サキジョーグ)達はすーじ小が何故か大好きみたい。
今回の参考文献は上記「沖縄人物シネマ会った人すれ違った人」牧港篤三著ボーダーインク刊
沖縄壺屋焼き物博物館のホームページ http://www.naha-okn.ed.jpです。御礼申し上げます。


  1. 第11回目、真夏の伊勢丹新宿に吹く沖縄の風「沖縄展」もすっかり定着しました。瑞泉イエローCMソングシンガー「ジママ」もしっかり聞きました。やっぱり琉装が見たいんですよ。
  2. さがりばなの話題が賑やかな昨今、何故?とおもいました・・「内間御殿(西原町)のそれは「さわふじ」と呼ぶのでしょうか?・・と。
  3. 「リーフカレント」知ってますか?波の高い日、大潮の引き潮どきリーフの切れ目で沖に向かう急な流れです。これに巻き込まれるとあっという間にリーフの外、大変危険です。シュノーケリングの人達、特に注意!
  4. 暑い沖縄、忙しい8月です。17日(ウンケー)〜19日(ウークイ)がお盆。先立つ11日は七夕でお墓掃除。やれやれで27,28日沖縄全島エイサー祭り!昨今のエイサー熱は温暖化以上のヒートぶり。

 

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