ゆんたく・徒然 奥の深い沖縄。その沖縄をもっと知りたいヤマトの人々、
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ゆんたく・徒然 ( ロマンの島与那国:続篇 )

 

「未来は未知であり、過去もまた未知である」(大地舜)。歴史の真実を求めて未知の過去を彷徨する旅はロマンが一杯です。新嵩喜八郎氏が発見命名した与那国島新川鼻沖の「遺跡ポイント」に注目したのは海洋地質学を専攻する琉球大学理学部木村政昭教授でした。

木村教授は77年米国留学を終えて帰国後琉大に着任、沖縄トラフの研究に潜水調査船「しんかい2000」を活用し、取組まれました。

『地球上の文明は数千年前突然、かつ完成された形で現れた。・・・もしかしたらそれ以前の文明が水面下にあるのでは』これは我国の海洋地質学の草分けと言われた奈須紀幸東大名誉教授が授業でよく語られていた話です。『今後八重干瀬その他の海底考古学的研究により世界最古の文明が発掘されるかも知れない』と木村教授も海底調査前の92年、著作の中でこんな予言をしています。G・ハンコックや海洋地質学者の一部には「1万年前に地球は解けた氷河によって海面が大きく上昇、地殻変動(陥没)と相乗し陸地部分が広範囲にわたり海面下に沈んだ。1万年前に『もし文明が存在していたら』それは海底に眠っている」との認識があるようです。『もし文明が』という発想は『エジプト文明のピラミッドのような高度な建築技術が何故突然に、現れるのか?』という疑問から出ています。世界各地に「ノアの箱舟」のような大洪水伝説があるのも「もしかして」となる訳です。与那国の遺跡ポイント調査は92年に第1回、94年の第2回は陸上部分まで調査を広げ、一段落します。ここで調査の方向を一転し、『鍾乳洞は地上にしか出来ない』事実を踏まえて、沖縄本島、宜名真海底鍾乳洞の調査に入り、ドイツ考古学者J・バルトール氏の協力も仰ぎ、「琉球古陸がかっては地上に存在した」事を実証した。97年琉球大学海底調査団を再編し、勇躍本格調査に戻ったのです。各専門分野の学者やボランティアを得て与那国島で大々的に行われました。海外からはJ・マイヨール、G・ハンコック(前編参照)、R・ショック氏ほか多数が参加されている。世界の海を潜ってきたJ・マイヨール氏とは調査を通じ格別の心の交流があったようです。スキューバ潜水、「しんかい2000」等を活用して調査したその結果を、一つの区切りとして発表されたのが02年9月発刊の「海底宮殿・沈んだ琉球古陸と失われたムー大陸」(実業之日本社)です。かいつまんで紹介します。

チャーチ・ワードのいう「失われたムー大陸」は南太平洋には無かった。しかしその文明は与那国島沖に存在した。遺跡ポイントは古代ローマ都市を彷彿させる姿で残っていた。階段状のピラミッドが構築され、頂上には5000坪を超えるテラスがある。これを取り巻くループ道路や階段の巨石は直線的に切り取られかつ、人工物という決定的な証拠「クサビ」跡が連続的に見られる。人工物はこれだけに留まらない。古代の海岸線と思しき水深40m辺りからピラミッドに向けて、通路があり途中6角柱の立つ広場、水源地、神殿、トーテム、アーチ門、中城、が配置されている。(名称は調査団が付けた作業上の名前)  

年代を推定するとおよそ1万年前のものであろう。陸上のサンニヌ台にも直線で切り取られたテラス状の人工物があるし、付近には人面岩(モアイ石像に似た)も見つかり、海底からは用途の分かる石器や線刻石板、動物レリーフが彫られた石も多数採取された。』と述べられています。さらに『後氷河期の海面上昇と、この地区特有の地殻大陥没が考えあわせると、1万年以上前の海岸は現在の水深40mぐらいの所にあった』とし、加えて沖縄に伝わる「ニライカナイ伝説」「竜宮伝説」「蓬莱島伝説」「徐福伝説」を紹介して、『世界の各地に散見される古代文明遺跡と神話伝説との結びつきと同様の事が、与那国の海底遺跡にも言えるのでは』と推考しています。

『まだ幕が上ったばかりである。今後更なる調査分析が進めば私達が今までに学んできた歴史を覆す発見があるかも・・与那国の海に眠る宮殿のような造形物にそのような可能性が秘められている』と結んでいます。そうですよ、真実はゆっくり分かればいい、その間は充分ロマンの香を味わいましょう。皆さんも機会を作られ、絶海の孤島、最西端の与那国島を訪れて古代文明や遠い、遠い我々の祖先の生活に思いを馳せてみては如何でしょうか。悠久の黒潮の海はまぶしくもやさしいはず・・・

ウチナー口(沖縄方言)など解説

大地舜

・・「神々の指紋」訳者。日本やアジアでの調査時はハンコック(作者)氏と同行。「調べるほどに高度な文明が太古の時代に存在した事が必然に思えてくる」そうです。

新嵩喜八郎 ・・昭和22年祖内生。YS−11就航を機に故郷へ。ホテル入船オーナー、OCVB与那国調査員、琉大海底調査員、八重山VB副理事長など。
木村政昭 ・・昭和15年横浜生。三原山大噴火予知で注目を浴びた、ロマンを求める生粋の科学者です。海洋学科が国立大学中唯一琉大に出来た為着任したという。私事ながら「ヨット、葉山、ほぼ同時代」と親しみを感じる共通項あり。私の所属部名は「海洋研究会」。
しんかい2000 ・・乗員3名6時間潜れ、最大潜航深度2000m。沖縄トラフ研究人員は12名。
奈須紀幸 ・・24年福岡県生、東大卒後カルフォルニア大学海洋研究所大学院卒、東大海洋研究所長を経て84年退官名誉教授。『「海底遺跡」超古代文明の謎』など著書多数。
宜名真海底鍾乳洞 ・・辺戸岬西側崖下水深15mにあり奥行き40m。石筍、石柱があり石器が発見された。9000〜7000年前といわれる。
ジャック・マイヨール ・・27〜01年12月。自伝映画「グラン・ブルー」で有名、素潜り100mの記録を持つ。唐津の海でイルカと出会い、終生イルカと海を愛した親日家。
ロバート・ショック ・・ボストン大地質学者。世界の海底遺跡に深い関心を持ち、北谷沖のポイント調査もされた。ギザの大スフィンクスは7000年以上前の建造物である事を証明。
チャーチ・ワード ・・1852〜1936。1万2000年前に大津波で没した南太平洋の「ムー大陸」説で注目を浴びたが、論理性、実証がなく、経歴詐称まで出て評価は地に落ちた。アトランティス大陸の模倣とまで言われたが「西太平洋なら」と再評価の兆しもある。
線刻石版 ・・十字やV字が刻まれた石の板。沖縄ロゼッタストーンとの共通性がある。
徐福伝説

・・秦の始皇帝が不老不死の薬を探すため、渤海の彼方にあるという蓬莱島を含めた三神山に使わした家臣の名前。司馬遷の「史記」に登場する。徐福一行は最終的に吉野ヶ里に住んだ、一行の一員に卑弥呼がいたなど伝説は限りなく飛翔する。天孫氏は徐福の出生地から来たともいわれる。


参考文献など

「神々の指紋」(上・下)グラハム・ハンコック著大地舜訳:小学館文庫

「海底宮殿・沈んだ琉球古陸と失われたムー大陸」木村政昭著:実業の日本社

「やえやまガイドブック」南山舎

http://www.wonder-okinawa.jp/024/

http://www.grahamhancock-japan.com/bio.html

http://www.churashima.net/people/aratake/index.html

http://www.southwave.co.jp/swave/7_spe/spint_9902.htm
プロフィール

楠 通志
1942年1月生まれ(みずがめ座 O型)。福山市出身、さいたま市在住。
1976年頃初めて沖縄入り。以来本島以外に、宮古島、多良間島、石垣島、与那国島、竹富島、波照間島、伊江島を訪問。自然風景写真を撮っている。
今年の目標は「原風景」に拘った作品作りで必然的に離島へと足をのばす事。伊是名、座間味、久高の各島。本島では山原や東海岸としたい。


シーブン(おまけ)

  1. 入梅中の沖縄、この季節を「スーマンボース(小満芒種)」といいます。小満入りは5月21日、芒種入りは6月6日、夏至の6月21日前日までが梅雨と言うわけで、旧暦は本当に素晴らしいですね。
  2. 慶良間諸島阿嘉島臨海研究所でサンゴの卵からサンゴ礁を復活する研究が成果をあげているそうです。「タカセガイ(巻貝)」と同居させるのがミソです。
  3. 少雨で福地ダムの水位が下がったまま、そのため「ゴンミキ号」(自然観察船)は昨年12月より運休したままです。雨の欲しい沖縄です。
  4. 手でちぎって食べる「ボゴールパイン」(スナックパイン)が5月22日から、発売開始されました。7月中旬までOKです。これはとても甘くて美味しいです。
    私も買って帰ろうと思います。「安くしてちょうだい!」