ゆんたく・徒然 奥の深い沖縄。その沖縄をもっと知りたいヤマトの人々、
古里沖縄をあまり知らないと”ウチアタイ”するウチナーンチュ。
そんな方のお役に立てたらと願う、「青春」を謳うナイチャー、
NPOの一員です。

私の沖縄:宮古前編

本島から先島に足を伸ばしたのは96年(H8、2月)、宮古島行が初めてでした。
北谷浄水場での竣工式を終えた翌早朝、ファントムに似た音が頼もしい737−200に乗り、技術屋K君と宮古島に向かいました。旧那覇空港の少し離れた場所にあった南西航空(SWAL)は、「離島=ニライカナイ」に誘ってくれる様な気がして憧れの存在でした。赤い帯に、シーサーの名がついた機材に乗りたかったのですが、機会がないまま93年に社名は日本トランスオーシャン(JTA)に変わりました。(アギジャビヨー)
沖縄っぽい南西航空という名にノスタルジーを持つファンは「赤帯か、せめても沖縄らしいカラーリングを」と願っているそうですが、同感ですね。復帰前の67年、エアアメリカの継承をめぐり、米国の航空会社と熾烈な競争の末、設立されたのが南西航空なのです。日の丸が垂直尾翼に誇らしげに描かれていましたね。
話を96年2月に戻し、懺悔的に告白すれば予備知識ゼロの島行でした。宮古の第一印象は「まぶしく、明るい」でした。与那覇湾の素朴な美しさに心を奪われ、エメラルドグリーンの海を渡って来る南島の風は爽快でした。 
スムージー」も津嘉山荘も知らない時です。向かった先は「宮古島東急リゾート」、ハイビスカスの赤色が美しく映えるエントランスロード、ガードマンとの「阿吽の呼吸」は本島で習得済みですからフリーパスです。プールや庭には人影はなく、ピンク色のブーゲンビレアにハベルが出迎えてくれました。視界がパッと開け前浜ビーチに出ると誰もいない海に双胴型のヨットがトゥルバッテいました。たまらない開放感と海の美しさに二人は声も出せず、思い思いにシャッターを押し続けるだけで、現実と全くかけ離れた楽園に飛び込んだ思いでした。
これが無料と驚きつつ渡った来間大橋、「楽園の花嫁」が住むという島の展望台は竜宮城もどきで、出来立てアチコーコーでした。その先の「うえのドイツ村」でもマルクスブルグ城が7月オープンを目指しアチコーコーでした。
「お〜っ!そうだったね〜」と声を上げたのは、ホテルブリーズベイマリーナの垂れ幕です。MLBで大活躍中のイチロー選手がオリックスに入団した翌年の93年からチームは春季キャンプを宮古島で開きました。『島にコンビニが出来たのはイチロー選手のアピールだった』という伝説も生まれました。オリックスは95年パリーグ優勝を遂げ、96年には垂れ幕の期待通り、巨人を破って日本一になっています。新報記事によると『87年、充電中の長島茂雄氏が講演で来島した時「球場さえ整備されればプロ球団は必ず来る」と熱く語った事が島民の心を掻き立て、苦節6年後のキャンプ開催になった。この度(03年3月)16年振りに宮古を訪れた長島日本代表監督は「宮古の人の熱意はすごい」とサトウキビ畑から変貌した球場をみて感慨深く語った』とあります。
さてその後は東平安名崎で雄大な眺望に驚き、「ウージトーシ」間近の畑の中では道に迷い一時間ほど右往左往の甘くもほろ苦い思い出を作り、西平安名崎では心いくまでサンセットを楽しみました。たっぷり暮れた平良の街は暗闇でしたが、迷わずホテルに到着出来ました。これが漲水御嶽さんのご利益だと知ったのは翌早朝、散歩から帰ったKが漲水に祈る島人の姿に異界を感じたと語ったからです。低い林の丘を越えて港に朝日が差し込んでくるとフェリー多良間が目覚めたようにくっきり見えます。こんな平良港の眺めが気に入り以後宮古ではこの部屋と決めました。朝食後平良港から伊良部島に渡り、島を一周しました。通り池、渡口の浜等々、印象は今一つでしたが伊良部架橋が完成した暁にはじっくり自分のやり方で見て回りたいと思っています。きっと再発見がある事でしょう。
再度の訪問は3年後の99年3月末。事業部最後の花道にとオー君が袖山浄水場硬度低減化施設の竣工式出席を私に用意してくれたのです。一足先に着いた私が借り得た車は真っ赤なオープンセリカで、現場に乗り付けるには余りにも不適切な車でした。今でも酒席の昔話になるとオー君から「何を考えてあんな車をレンタルしたの!」とお叱りを受けます。「ダッカラヨー」「コワイサー」で逃げています。
今振り返るとこの3ヶ年の間に宮古空港は新空港となり、ターミナルビルも生まれ変りました。「うえのドイツ村」もオープン、宮古支庁も新しくなり、風力発電も稼動しました。私の宮古島史の前編はどうやら新生宮古島の胎動期だったようです。
その後の3ヵ年弱と、退職後、トライアスロンのボランティアやインキュベーター活動で訪れた宮古島は後編としてゆんたくします。ゆたしくお付き合い下さい。

ウチナー口(沖縄方言)など解説 ※文中敬称を省略しました。お詫び申し上げます。

ファントム・・ 本島の皆さんにはお馴染みの轟音凄まじい2人乗り戦闘機F4EJ改の愛称。
      航空自衛隊那覇基地には302飛行隊が駐留、民間機と空港を共用しています。
737−200・・ ボーイングの短距離型旅客機。南西航空では02年2月がラストフライト。
技術屋K・・ 私と同じ瀬戸内育ち(前回掲載の灯台がある因島の出身)、苗字の総画数40画!
ニライカナイ・・ はるかな海の彼方にあるという幸福の郷。「ニラーカナー」などとも言う。
シーサー・・ 「ウエルカムシーサー」「うれシーサー」「はずかシーサー」「ばんざいシーサー」他。
日本トランスオーシャン・・ コーラルウェイ111号(40周年記念号)に詳しい。
スムージー・・ バックナンバー「美ぎ島宮古」を参照ください。
津嘉山荘・・ バックナンバー「美ぎ島宮古」を参照ください。
ハベル・・ 「蝶」です。「侍る」とカケました。琉球弧では神の化身という信仰思想がある。 “アケズ(トンボ)飛ぶ見れば父を思い、ハベル飛ぶ見れば母を思う”と言います。“あきつ島大和の国は・・”大和を言う枕詞「あきつ」は「トンボ」です。「アケズ」と変化しウチナーグチで生き残っている事は素晴しい事。伊波譜猷が喜びます。
トゥルバッテ・・ 「トゥルバル」とは「ぼんやり、ぼけーっとする様」をいいます。マブイを落とした状態でも使うのかな?
楽園の花嫁・・ バックナンバー「美ぎ島宮古」を参照ください。
アチコーコー・・ 「出来立てのホヤホヤ」の意味。ウチナーンチュが多用するボキャです。 「語源は淹れたての熱いコーヒー」と、これは私だけの考えです。
オリックス・・ 阪急ブレーブスがオリックスに買収されて「オリックス・ブレーブス」、その後神戸移転で「オリックス・ブルーウェイブ」となり短いながら黄金時代を築く。さらに後年近鉄バファローズを吸収し「オリックス・バファローズ」となった。「ややこしい」ですね。
ウージトーシ・・ キビ刈り、キビの収穫をいいます。
伊良部架橋・・ 宮古島から伊良部島へ架ける雄大な橋で建設が始まりました。詳細は後編で。
ダッカラヨー・・ 否定、肯定あい混じったそれでいて妙に納得する言葉ですね、言われたら。
コワイサー・・

「もうそれ以上突っ込まないで」と精一杯の抵抗的な懇願の言葉。


プロフィール

楠 通志
1942年1月生まれ(みずがめ座 O型)。福山市出身、さいたま市在住。
1976年頃初めて沖縄入り。以来本島以外に、宮古島、多良間島、石垣島、与那国島、竹富島、波照間島、伊江島を訪問。自然風景写真を撮っている。
今年の目標は「原風景」に拘った作品作りで必然的に離島へと足をのばす事。伊是名、座間味、久高の各島。本島では山原や東海岸としたい。


シーブン(おまけ)

  1. 1908年特別町村制度が実施されて100年、恩納村や伊江村などが今年、「自立的発展」や「過去に感謝し未来へ」とそれぞれ記念行事を進めています。
  2. 沖縄尚学が春の選抜大会で9年振り全国制覇で、すっかり盛り上がりましたね。9年前も今年も、4月4日。この日は「沖縄県誕生日」なんですよ! (琉球王国がなくなり、沖縄県となった明治12年のことです)
  3. 「古いかりゆしウエアー」ですが修学旅行の生徒さんに貸し出すそうです。洗濯代が借り賃ですが、皆さんどう思われますか?県ホテル旅館生活衛生同業組合のアイディアです。古いものとの交換もするとか。
  4. 浜下り期間限定で米軍管理ビーチが開放されている事は案外知られていないようですね。「何もわざわざ」と言わず来年チャレンジされては如何です?! 但し、OKの保証はありません、現地でお確かめください。

参考文献等

琉球新報記事 
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-118728-storytopic-86.html
「コーラルウェイ 111号(07/7/8)JTA創立40周年記念号」
http://www.churasima.net/coralway/index.html 
「ウチナーグチ練習帖」 高良勉 著   生活人新書