ゆんたく・徒然 奥の深い沖縄。その沖縄をもっと知りたいヤマトの人々、
古里沖縄をあまり知らないと”ウチアタイ”するウチナーンチュ。
そんな方のお役に立てたらと願う、「青春」を謳うナイチャー、
NPOの一員です。

民俗へのいざない

“折節の移り変はるこそ、ものごとにあはれなれ”(徒然草第19段)
原色図鑑の沖縄にも「もののあわれ」が漂う10月となりました。沖縄を一番楽しめる時期だと思います。泳ぐ事も出来ます、かといってブチクンの暑さはもうありませんから、ビーチパラソルの下でトロピカルジュースを味わいながらのんびり読書というのは如何でしょう。しばしまどろむのも「イーヤンベーだはず」。本のチョイスは趣向を変えて民俗学関連はどうでしょうか。昔の沖縄にタイムスリップしてみるのも一興ですよ。
民俗学を大辞林で調べると「民間伝承を素材として民俗社会、民俗文化の、発生変遷を研究し民族文化を明らかにしようとする学問、(フォークロア)」とあります。何年に何が起きたという歴史ではなく、人々の生活史を長いスパン(伝承、口承)で明らかにする学問とも言えましょうか。沖縄には日本人の民俗的古層が今も残っているので民俗学の宝庫とされています。沖縄への興味は沖縄の民俗を知る事にも繋がり易い訳です。
恩納村で出会った見知らぬウチナーンチュの言葉「人は自分に合った土地、場所がある」(バックナンバー「ビーチ」)に我が意を得た私が、訪沖を繰り返すうちにそれ以上の何かが自分を沖縄に引き寄せている、言葉を換えると「古里と沖縄を結ぶ糸がある」そんな確信を持つに到りました。片足で跳ぶ事を古里の方言で「ケンケンする」と言いますが、この言葉が同じ意味で沖縄にもありました。他にも類似の言葉に出会いました。「同じ言葉があるという事は昔交流があったはず、その繋がりの糸とは?」、こんな興味が私を民俗へと誘ってくれた様です。
民俗学者谷川健一氏の著作『甦る海上の道・日本と琉球』には「家船(えふね)」の記述が多く見えます。その中に掲載された「昭和30年代・尾道市吉和漁港の家船」という一枚の写真は、50年前古里でよく見掛けた海上生活者の姿を写し出していました。彼等の先人は「家船」と呼ばれ唯の漁師に留まらず、南北朝時代を最盛期として遊弋活動していた集団であったのです。私はこの本を読むまでこの事を知りませんでした。家船の出自は中国福建省の漂海民(羽原又吉説とか、源平の戦いに敗れた平家の落人だとか諸説あります。朝鮮半島で恐れられた倭寇にも家船は加わっていたようです
家船は移動性が強く常に統率がとれた行動で、戦に加担する軍夫となったり、海賊行為にも走り、時には貿易商の護衛をしたりして生活し、その行動エリアは九州(長崎や熊本)まで及んでいます。その地からは、奄美、沖縄へと続く海上の道が拓かれていますね。瀬戸内の家船が九州の枝村で沖縄から来た海人と交流を持つ(物々交換など)事は至って自然です。私が探していた「古里と沖縄を結ぶ糸」は家船であると次第に確信を持つに到りました。
日本民俗学の父と呼ばれる柳田國男氏が沖縄、先島への旅の出発点に家船の拠点津留を選んだ理由は「家船が沖縄と密接な関係があると考えた」からだと谷川健一氏は述べています。それで疑問が解けたです。
南朝敗北後、名和の残党は海賊化して南に下り、沖縄本島佐敷に拠点を作りこれが第一尚氏となったというのは折口信夫氏の説であります。ここにも家船の姿が見え隠れします。今帰仁運天港には、伊豆大島から逃げた源為朝が上陸したという記念碑があります。勿論これは伝承の域を出ませんが息子尊敦は浦添を拠点に活躍した舜天王であると「中山世鑑」には記かれ、滝沢馬琴の著作「椿説弓張月」を見る事になります。
史実という裏づけに到っていない伝承は、史実では味わえないロマンの香がいっぱいあります。これがフォークロアの魅力です。続編では為朝伝説や第一尚氏誕生説などを、伊波譜猷氏や著名な民俗学者の考察を織り込んでゆんたくしたいと思います。

「民俗へのいざない」の内容で、皆様のご見識にそぐわない点がありました時は何卒諸説紛々の民俗学ゆえ(勉強不足ともども)とご寛容の程御願い致します。

ウチナー口(沖縄方言)など解説 ※文中敬称を省略しました。お詫び申し上げます。

もののあわれ・・ 「もの」は目に映る自然や事象、「あわれ」心の琴線に響く感傷、情趣。「普段何気なく見ていたものが心に沁みてくる様子」でしょうか。
ブチクン・・ 「引っくり返る、卒倒する」という沖縄の暑さを表現するウチナーグチらしい言葉。
イーヤンベー・・ 「よい案配」「良い気持ち」です。
フォークロア・・ folklore。フォークはフォークソングのそれ、loreは「伝承」。
学問くさくない庶民目線の学問が民俗学で、学者の多くは旅に明け暮れ、庶民に溶け込み聞き取りをしています。
ケンケン・・ 『魂込め(マブイグミ)と魂(たま)呼ばい』(宮城喜久蔵著:ボーダーインク刊)の第1章「言葉に見るヤマトと琉球(p.63)」にあります。私が育った福山(広島県東部)では片足跳びなんて言いません、「ケンケン」です。余談ですが人気の「篤姫」に登場する老中阿部正弘は備後福山藩(譜代)第7代藩主です。
吉和漁港・・ 尾道市の西端にあり、すぐ先の海上に因島大浜崎があります。高校時代大浜でキャンプをし、ミカン畑の中にある井戸に水汲みに行った時、吉和の海上生活者の女の子が洗濯しているのに出くわしました。思い出すと今でも胸キュンのまぶしい情景です。
写真・・ 狭い港にひしめき合って停泊する家船の家族の写真は多分お盆時期に撮られてものと推測します。戦後の混乱が収まる頃、1年中船の上で生活する漁師の子弟の教育が社会問題になりました。義務教育を受けさせる為子供だけの寮が出来ました。その事を記録したのが「尾道学寮物語」で写真はそこに掲載されているものと同じです。
海上生活者・・ 私の知る時代(〜昭和30年代)吉和漁港に帰るのは盆と暮の2回だけでした。
この種の写真は瀬戸内の盆暮れの風物詩になっていましたね。
漂海民・・ 「しや族」(「しや」は「余」の下に「田」と書く)ではないか、これは羽原又吉(はばらゆうきち)博士の仮説です。津留の家船はシャアと呼ばれていたし、犬祖伝説やひさご神話が伝承されている事に基づくそうです。
戦に加担・・ 「吉和の家船は足利尊氏の九州敗走を助け、再度の上洛時には踊りを奉納し、鞆津(福山市鞆)まで見送った」という語り伝えが吉和にあると谷川健一氏は書いている。
長崎・・ 生月島(キリシタンの島で有名)、平戸、五島などです。
枝村・・ 家船の本拠地は吉和、能地(三原市)、二窓(竹原市)、これらの支社支店に相当するのが枝村です。大分県臼杵市津留(今も盛大に行われる八坂神社の祇園祭は都を離れた武家の伝えたものかな・・私の考察です=あれこれ考えられるのが面白いのです)とか、熊本県水俣市浜船津(源為朝がここから沖縄に旅立った、その時に残した片袖を祭る神社があるという。谷川健一氏は「この地で生まれ育ったのが自分と琉球・沖縄との由縁である」と述べています。)
沖縄・先島への旅・・ 「海南小記」となって結実した1920年〜21年の旅。
私・・ 「波照間島序章」をゆんたくした時は「旅の出発地が大分とは不思議」と言いました。当時の勉強不足を恥じつつお詫びいたします。
佐敷・・ 名和氏の本拠八代の近くに佐敷という地名がある。浜比嘉の浜村も浜船津に由来とか。
中山世鑑・・

「ちゅうざんせいかん」と読みます。1650年完成の琉球正史ですので政治色が強い。詳細は続編で。


参考文献等

『甦る海上の道・日本と琉球』 谷川健一著 文春新書
『民俗学の旅』        宮本常一著 講談社学術文庫
『徒然草』          角川書店編 角川ソフィア文庫

《民俗学者略歴紹介》:文中を含め敬称を略しています、ここにお詫び致します。
谷川健一・・ 柳田國男に師事する。1921年水俣に生まれる。南方熊楠賞受賞。今年日本経済新聞「私の履歴書」に掲載された民俗学者。
宮本常一・・ 1907年(山口県生まれ)〜1981年。武蔵野美術大学教授、文学博士。
羽原又吉・・ 日本漁業経済史研究の第1人者、1942年に日本最初の漁業経済史講座を慶応大学で担当する。研究領域は漁民生活を含め全分野に及ぶ。1955年第40回日本学士院賞を受ける。1882年(明治15年大分県生まれ)〜1953年
折口信夫・・ 柳田國男に勧められ1921年始めて沖縄・奄美を旅する。1928年慶応大学文学部教授。日本民俗協会設立幹事。「文学者的民俗学者」といわれる。1887年(大阪府生まれ)〜1953年。※シーブンを見てください!

シーブン(おまけ)

  1. 折口信夫の写真や伊波普猷諸氏との交換書簡など戦前の貴重な資料が12月9日から「沖縄研究のさきがけー折口信夫と沖縄」と題して、県立博物館・美術館で開催です。(琉球新報8/29)
  2. 沖縄元気度のバロメーターの一つは「島くとぅば」。9月18日「しまくとぅばの日」に新良幸人さんと下地勇さんのトーク・ライブイベントが開催されました。「かっこいいから唄う、しまくとぅばを残すのが目的ではない」。なるほど!
  3. 第10回「沖縄県産本フェア」が9月27日〜10月16日までデパートリウボウ7階で開催です。ヒヤミカチ祭は1〜5日まで。沖縄を去って東京に帰任した武田アナ(NHK)は4日に講演です。
  4. 10月10日は「ジュージュー記念日」、翌日から那覇祭りで大綱挽きや旗頭で賑わいます。10月25日〜首里城祭り、那覇産業祭りなど、楽しめますね。よろしくお願いします。

プロフィール

楠 通志
1942年1月生まれ(みずがめ座 O型)。福山市出身、さいたま市在住。
1976年頃初めて沖縄入り。以来本島以外に、宮古島、多良間島、石垣島、与那国島、竹富島、波照間島、伊江島を訪問。自然風景写真を撮っている。
今年の目標は「原風景」に拘った作品作りで必然的に離島へと足をのばす事。伊是名、座間味、久高の各島。本島では山原や東海岸としたい。


 

バックナンバー
沖縄の春
二見情話
沖縄の原風景 No.1
風さらめけば
ビーチ
ビーチパーリー
沖縄の花
暮れの沖縄
正月:そーぐぁち
シーサー
弥生の別れ
行きてし宮古
ある旅立ち
沖縄の花(その2)
ゴーヤー
お茶三題
台風
めんそーれ沖縄
沖縄キーワード
暮れのよしなごと
沖縄の原風景No.2
語り継ぐもの
山原ホロホロ(前編)
山原ホロホロ(後編)
海を渡る橋
かりゆしウエア
やちむん通り
八重山:竹富島
八重山:白保
沖縄の心「ちむ」
沖縄暮れ風物詩
ニービチ
「くんなとぅ」の風景
南部海岸巡り
羽地内海
ロマンの島与那国
ロマンの島与那国:続編
めんそーれ那覇
沖縄の三宝
あやはしロードを行く
多良間の思い出
今、海は秋
親子ラジオ
首里城
波照間序章
波照間島前編
波照間島後編
ウリズン・若夏
ミャークヌパナス

美ぎ島宮古

続・美ぎ島宮古

琉球ガラス

沖縄の焼き物
伊江島:島情話の里
フラワーアイランド:伊江島
泊港 前編
泊港 後編
泊余聞
私の沖縄:本島編
私の沖縄:宮古島前編
私の沖縄:宮古島後編
私の沖縄:八重山編
ハーレー&ハーリー
風さらめけば:2